BBが入院する

今日午後からBBは近くの病院に入院した。明日は午前中に手術を受けることになっている。もう五年ほど前に職場の健康診断で『要精密検査』ってのに引っかかってずっと経過を観察してきたが、あまり経過がよくなくて、自然治癒は期待できないとの判断で思い切って手術をすることにした。今日は一緒に病院にいって担当医から手術の詳細について説明を受けた。命にどうこうというほどの手術ではないので特に心配はいらないのだけれど、やはり手術は手術な訳で絶対にっっ、安心ということは有り得ず、能天気な俺でも少し気にしている。^^;

考えてみれば俺は手術というものを受けたことがない。小学校の時に扁桃腺の除去をしたことがあるが、これは手術と言えるほどのものかどうか、、。盲腸もまだ体の中にあるしなぁ〜。^^;親知らずを抜いたりしたのは、手術とは言わないだろうし、、。長い間大きな病気もせず怪我もせずラッキーだった。

もうすでに他界した同級生がいる。中学校の時に一緒にバスケットをしたチームメートで、彼は二十歳になる前に死んだ。自殺だと噂されたが本当のところはよく判らない。腎臓を患って二十歳前後に死んだ奴もいる。自分と同い年の奴らが『死ぬ』なんて考えもしなかったから、ものすごくびっくりしたし、少し怖くなったりもした。二十歳前後で『死ぬ』なんて、その頃は考えられなかった。

今は少し『死』というものが自分に近いところにあると感じることができるようになった。歳のせいもあろうし、公私にわたって『死』に向き合う機会がたくさんあったからだろう。お世話になった方々の『死』や同僚のご両親様や取引先の葬儀に出席する回数も増えたし、先輩の中にも病気や事故で早々と逝ってしまわれた方々もいる。あまり俺と歳が違わない人がある日突然いなくなる現実に直面すると、自分の死というものも考えざるを得なくなる。俺の両親は辛うじて生きているが、BBの父親は数年まえに他界した。ここ数年、親戚筋でも数人が他界した。葬儀に出席する度に自分の『死』について考えた。

病院はいつ行っても嫌な場所だ。淀んだ空気や人工的な清潔さが、元気な者まで病気にしてしまうような気がする。けれどそこは人間の人生の始まりと終わりの瞬間が存在する大切な場所なのだ。BBのようにその二つの『瞬間』の狭間にいる人達が早く元気になってその場所から遠ざかることを祈らずにはいられない。