ちょっといい話かも、、。

今朝は少し起きるのが遅くなったけれど、散歩に出かけることにした。昨日から暖かいが今日もまた暖かくなるというので、上着は着ずにトレーナーだけで出かけた。堤防の道を歩いていると、今朝は早くから大きなユンボが川の中で動いていた。明日には川の水はどんなふうに流れているんだろう、。
家に戻って居候ねこのトラに餌をやり、自分はコーヒーを入れた。それを飲みながら新聞を読んでいると、ある記事に泣かされた。投稿者は『花屋さんのブログの中で読んだ、、』と前置きして書いている。ある花屋さんにホームレスの人が訪れて、知り合いのホームレスが亡くなったのでせめて花だけでもと思い、なけなしの金で花を求めたというのだ。その花屋さんも粋で、代金は半分だけしか受け取らずさらに沢山の花を差し出した。投稿者は自分のことよりも他人の死を悼む人がいることに感激したと結んでいた。

学生時代俺は金がなくて布団の中で腹が減り過ぎて眠れず、イライラしたことがあった。ある人は『人間の一番の弱点は恐怖で、狂気の元になり得る』と言う。けれど『飢餓』も人間にはこたえる。^^;飢餓への『恐怖』が、、というふうにも考えられるが、そうなら尚のこと、ホームレスの人が千円のお金で知り合いの死に対して花を手向けるという行為は尊いと思う。

国家中継を聞いている。首相には『口癖』というのがあるようで、我が国の首相である太郎さんは、『基本的には、、』『いずれにしても、、』『少なくとも、、』を連発する。そのあとの内容をはっきりとわかりやすい日本語でいえば、『基本的には、、自分だけ』『いずれにしても、、、、自分だけ』『少なくとも、、、、自分だけは、』と聞こえてしまう。^^;ぶっちゃけた話は、、たしかにそうかもしれない。人は基本的には一人で生きねばならないのだから、すべては自分の都合のいいようになれば一番いいのだ。俺もかつてのように、全体のために個人が犠牲になることはないと『基本的』には思っている。それでももっと『基本的』には人は一人では生きられないのだ。人は人が必要なのだ。

花屋さんを訪れたホームレスの人のようになれとは言わない。でももう少しその人のような気持ちがあれば、『少なくとも』今よりもいい世の中になるような気がする。『いずれにしても』、賢明な国民の声に耳を傾けて頂きたい、、と思う。^^;

花粉のせいで涙腺が緩んでいるのかしらん? 花屋さんを訪れたホームレスの人のお知り合いのご冥福を心よりお祈りしたい。