小さな幸せ

『見上げてごらん〜、夜の星を、、』という歌があるが、高校の恩師は『小さな幸せなんざ願ってはいけないっ!!もっと大きな幸せがあるのだっ!!』と言ってこの歌を嫌っていた。それを聞いた時は、確かにそうだなぁ〜、、と思ったけれど、最近は『小さな幸せ』がいいなと思っている。^^;  もっとも、幸せというものは、大きいだの小さいだのという類いのものではなくて、英語でいえば、数を数えられないものが世の中にはあるという考え同様、大きい小さいが言えないものもあるのだが、、。

大きな幸せがあるとすれば、大きな不幸というものもあるのであって、そうなると、ある人の不幸よりもある人の不幸の方が大きいっ!!なんてことが判っちゃって、、これはこれで非常に困るのだ。^^; 

俺は今、空調の効いた台所でコンピュータを使っている。
俺が中学生の頃は、畳すら入ってない板張りの部屋で、隙間風を気にしながら、部屋の中にいるというのにコートを着て、小さな炬燵に足を突っ込んでいた。そして夜も更けてきた頃、テレビで見たシーンを思い出しながら、コーヒーカップを両手に大事そうに持って、チビリチビリとあったかい中のモノをすするのだ。ひんやりとした部屋の中で飲む暖かいコーヒーやココアは最高に美味かった、、。

俺は小さな幸せが好きなのだ。
ヤドカリが小さな部屋から頭だけを出して世の中を見ているような、、、、雨の日に傘の中から人の流れを覗いているような、、、布団の中にもぐり込んで毛布から透けている外の世界をみているような、、そんなシミッたれた感じが大好きなのだ。

訳あって『主夫』を始めてからますますこの傾向が強まってきているような気がする、、。これでいいのかなぁ〜、、と思うこともあるが、大きな幸せをつかむと、今度はそれを失くしてしまう不安にかられて結局『不幸』になってしまいそうだし、、。^^;貧乏だ貧乏だと不満を言っていた男が、あのバブルの時代、億単位の金を手にした途端、道端に座り込んで金の勘定を始めるような奇行に走り、挙句脳溢血で死んじゃったけれど、これって、馬鹿馬鹿しいほど悲しい。人間には一人一人どこかに『器』を持っていて、金にしろ名誉にしろ、、幸せがその中にほどほどに入っているのが一番いいんだろう。コップの水だって、水が器を超えると、あふれて流れて、、ひょっとするとコップが割れてしまうことだってある。

自分の『器』がどれくらいのものか知るのはとても難しい。けれど、俺のはきっとコーヒーカップくらいに小さいと確信している。あはは。(^^)