我が地方の教育システムはこれでいいのか

自分の娘が受験で必死なので、親としてもつい力が入る問題なのだが、三人子供の進学に立ち合ってみて、つくづくわが地方の教育システムはこれでいいのかと思う。『本音と建前』という、なんとも不思議な思考回路が頭の中に組み込まれている俺達には、表だってこういう話をするのは、おおいに儀礼に反することなのだろう。俺が思うに、遠い遠い昔は、『本音と建前』というのはもっと庶民的なものだったのではなかろうか。何か災害や病気になった時に世話になるのは隣近所。だから普段は出来るだけ摩擦を抑えたいという配慮から、口ではああ言っても、実はこうなのだという相手をおもんばかる作法のようなものだったのでは、。ところが議論の場までそれを持ち込んでしまったから話はややこしい。^^;

我が地方では受験方法がここ三年ほどでコロコロと変わった。なぜこんなに毎年変わるのかと思っていたら、本音は良くできる学生を県外に逃がさないためらしい。^^;もっとはっきり言えば、勉強ができる学生、、決して賢い学生でもないしいい学生でもない、とにかく『学習が得意な子』のために、その他の生徒は犠牲にしてもよいということだ。^^;県内のどの学校でも受験できる、、というけれど、ここは『本州のお荷物』と言われ兼ねない素敵な田舎。交通網の整備も整わないのに、それはないでしょうょっっ!!そんな離れたところに十五〜十六歳の『出来の悪い子供』に一人暮らしさせる親の気持ちにもなってよっ、と言いたい。親としては、そんな子供だからもう少し手元に置きたいと思うだろう。受験はもう当人だけではなくて、親も親戚もみんな巻き込んだものとなっている。^^;

で、そのような施策を講じた結果どうなったかというと、鳴り物入りの特別クラスは年々受験生が減っている。中高一貫教育はまだ結果が出ていないが、どうも内部の先生の話だと大変らしい。小学生の時に無理をして入学したはいいけれど、後で授業についていけない学生が増えてきているそうだ。でもこの調子でいけば、中高一貫教育よりも以前の方が良かったということになって、現在の特別クラス同様受験者が減ってしまう可能性がある。というのは、人間は変化するものだから、入学後どんどん実力を付けて、中学でよく出来たが高校で伸びない生徒を追い越して、、例えば合格大学の難易度で良い悪いを判断するとすれば、、、特別クラスの学生よりも一般クラスの学生の方が合格率が高くなってしまったのだ。^^;そして思惑は大きく外れて、優秀な学生はどんどんと流出して二度と戻ってこないという結果を招きつつある。けれども、戻ってこないのはまさに頭がいい証拠だということに俺達は早く気づくべきなのだ。恐ろしく保守的な考え方、、それはそれでいいんだけれど、、、例えば『コネクション』で就職先が決まるとか、きちんと情報公開しないとか、、そんな古い体質を維持している地域に『賢い、能力ある学生』が集まってくるはずがないのだ。学生を変える努力をするよりも、大人の方がもっと学習して賢くなって、悪しき慣行を撤廃し、学生にとって魅力のある、、将来ずっと住んでみたい地域づくりに頑張るほうがずっとてっとりばやく目的を達せると思う。まぁ〜、このあたりにもずるさがあって、自分は努力もしないし痛みを感じるのも嫌、でも将来は、できるだけ優れた人たちに老後の面倒見てもらいたいと思っている大人が多すぎるのでは、、と思ったりする。あはは。

正直言えば俺もそんなずるい大人の一人だけれど、^^;^^;^^;、、もうそろそろそんな考えは捨てないとね、。優秀な学生達はとっくにそんなことはお見透しで、『お先に失礼』しているだけなんだろうから、。大人がいいとこ取りするならば子供もそれをやってなにが悪いっ、という考えもあるしなぁ〜。おまけに『年寄りを大事に、、』という良き考え方も、河原の石が全部ダイヤモンドになったような、そんな感がある状況では、年寄りの希少価値は著しく低下、二束三文、掃いて捨てたいくらいだから、子供の頭の中からなくなっていくのは、当たり前だしなぁ〜。^^;何もかも捨てて子供にささげた我が人生のお先は真っ暗だよ、、。^^;